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言葉遊びしかしてこなかった。

ここ最近、様々な方面の人たちから、僕の人との関わり方についての指摘をいただいたので、ちょっと自省でもしてみようという気分で過ごしている。

中学の頃、僕はいじめられていた、というと語弊があって、自分を持て余している規格外の同級生が取り巻き作って暴れていた、というのが一番近い表現だろうと思う。あの頃、人から何かを言われる度に、自分全部について言われているような気分だった。否定されたらそれは全否定であったし、肯定も全肯定だった。けれど、言われた悪口にいちいち傷付くというのは、今振り返っても馬鹿らしいことだった。無意識からだろうけど、言われた言葉と自分を切り離して考えるようになった。

切り離して考えるようになってから、自虐や気の利いた言い回しが出来るようになったと思う。ちょうど高校時代から。同級生との会話やメールでの雑談も面白くやれていて、それだけでそれまでより随分楽しくて満足していた。自分と相手の言葉だけ取り出して、自分の本当に大事なところだけは傷つけないようにお互いに言葉で刺しあうような遊び。こういう自分と会話の内容との相対化していく経験は誰もがどんな形であれ通過してきたものだと思う、というか思っていた。

大学に入って、暫く経ってから気づいたことがある。僕の言うような相対化が出来てない人は腐るほどいて、それでもうまくやっている、僕のクソみたいな生活よりもまともな大学生活を謳歌している、ということ。これには、本当に驚いた。まだまだ口下手で、だから非リアだってことにしておきたかったのに。口下手だけど人との距離感を掴むのが上手くて、そして自分の意志をハッキリと示せるような人が居る。僕の対極みたいな連中。

僕の言ってることは、優秀な戦士が優秀な司令官だとは限らない、みたいな喩え話に置き換える事ができるかもしれない。戦闘狂は確かにその場その場では勝利するかもしれないけれど、その勝利は大局に影響を及ぼさない。そういう人種は敗戦処理ばかり得意になるように。むしろ武芸はそこそこ嗜んでおけば充分で、それ以上に大局観や用兵術を学ぶべき、みたいなものかもしれない。大局を見据えて、必要なところに必要なだけの戦力を割いていく陣容を描く。そういえば、僕は人との距離感を掴むのが下手で、誤解を覚悟で言うなら、いつのまにか踏み込み過ぎて変に信頼されたり嫌われて後でそれに気付く、みたいなことを繰り返していた。

なんだかんだで言葉遊びの快楽ってのは大きくて、あと何か言うそばから笑ってくれないと不安、みたいなものもあるのかもしれない。ここまで自分の中で言葉遊びジャンキーみたいになってくると治すにしても自分を殺すぐらいの覚悟がいるんじゃないか、みたいに考えてしまう。軌道修正を図るとして、それはどうなんだろ。

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